自分以上でも自分以下でもない。

産後の不調を挙げたらきりがありませんでした。
身体のあらゆる部分の痛み、痺れ、思うように動かない、動かせない、感じない、感じられないという不具合感に、まさにわたしは押し潰されていました。
声は身体という楽器から生まれる、だからわたしの身体は楽器そのもの。
信条と習慣が、このときほど障害に感じられたことはありません。
いま思えば、いま思えばですが、あのときはただひたすらに腕の中にいる娘にお乳をあげて、一緒に眠って、おしめを替えて、笑いかけたり話しかけたりして、離れられるときに少々の家事をする、それだけで、それ以上でもなくそれ以下でもない、Everything is OK. だったのですが。
やはり、これまでの習慣なのでしょう。
以前のように立てない、歩けない、歌えない、笑えない自分にとてつもなく落ち込んでしまい、以前のように〜できない、という言葉がわたしの脳を支配していったのです。

何事も自然物であれば、沈んだものはあるとき浮かびだし、浮かんでいるものはあるとき沈みだすように、わたしのこの身体の感覚も二年を過ぎて浮かびだしてきています。
なんと有り難いことでしょうか!
飛び跳ねて狂喜したい気持ちです。
ここでまた、改めて今までレッスンで学んできたことを再認識する機会に恵まれた喜びと。
ここでまた、わたしの身体は進化し改革されていく喜びと。
この苦しかった二年は、自分との対話につかう言葉の大切さを、個人的身体的問題の把握とその解決法を、そして、以前のように〜したい、などという願望(言葉)そのものが間違った設定であったということをもう一度、刷新して教えてくれました。
今のわたしの身体、今のわたしの感覚、今のわたしの暮らし、今のわたしの知恵でもって、今のわたしの理想を掲げ、前を向いて歩いていけばいいのです。

自分以上でも、自分以下でもない音楽を作る ー加藤和彦

今日、わたしはこの言葉に出会えました。
今日から、今から、何度となくこの言葉を味わいながら生きていけることに、歌っていけることに、大きな感謝と静かに湧きつづける幸せを感じます。