年少に上がったばかりの娘の休園とともに、レッスンも休講とさせていただいてから、そろそろ2週間が経とうとしています。
こういうときだからこそ、レッスンについて、日頃考えていることや行っていることを記述していくこと、また楽曲の制作について考えたり作業を進めることができると思い、高揚した気分もあるのですが…。
なにしろ目の前には、今まさにたくさんの感覚や意識に花開いている、それはそれはまことに新鮮な3歳の娘がいるので、一緒に遊んでいるだけで、それはそれは見事に滔々と時間は流れてゆきます。とてもカラフルでパワフルな彼女と一緒にいて、捗る作業といえば、庭の草むしりや枯れ葉拾い。昨日はやっと雛人形をしまいました(^^;
もっとやりたいこと、あるんだけどなぁ…なんて思いながら、瞳をキラキラさせながら、とめどなく自然の見事さに狂喜乱舞している娘を見て、ああ、幸せだなぁと感謝もするのです。
そしてまた、隙間風のようにやってくる焦りの気持ち。ああ、今日もなんにもできなかったなぁ。
なんにもできなかったわけじゃあないんですけれどもね、モードが切り替わるとそう思えてくることもあります。
こうした、なかなか思い通りにはゆかないけれど、たしかに今ここにある幸せを愉しむこともできる時間があるというのは、やはり人生はまるで音楽のようだなぁと思うわけです。
思えば、演奏できる時間、歌を歌うことのできる時間というのは、とても贅沢で極上な時間だというふうに思えます。
当たり前のことですが、演奏する時間を得るにはその楽器を演奏できる能力を身につけなければなりません。
歌を歌う時間を得るには、同じく歌う能力を身につけなければなりません。
また、その能力を身につけるために、身につけるための時間を用意し、身につけるための練習をします。
とても贅沢で極上な時間を自ら創り出すのには、しなければならないことがたくさん、たくさんあるのです。
歌う前には、顔を洗って、服を着替えて、歯を磨いて、髪を整えて、メガネをコンタクトレンズにして、全身のストレッチをしてなんとなく目に入る範囲の環境を整理整頓しておかないと、あの人に返事をしておかないと気がすまないんだよなぁとかも含めて、リスト化するとどれだけ長くなるの?っていうくらい、いろいろなことをしておいて、やっと、よおし、歌おう、ってなる。
そうして沢山のことを準備してきて、到達できる場所にやっと辿り着いたときには、心からの愉しみを感じていいのだと思います。
練習している時間も、その練習をする時間を用意するために必要だった時間や物事さえも、心から愉しめて愛しめてしまえる人は、成熟した人といふうにいえるのだと思います。
甲本ヒロトさんの言葉です。
何かをやるためには、ついでにやらなければいけないことっていうのがくっついてくるんだよな。
世の中。大人になると。(中略)で、子供はさ。そのやらなければならないことが克服できないんだよ。
だから、やりたいことも我慢しなければいけないんだよ。それはしょうがないじゃん。子供なんだもん。
だけど、大人になってくると何が違うかっていうと。
このやりたいことにくっついてくるやらなければならないことを克服できるパワーが大人になったら備わってきてさ。
それを全部こう解決していくんだな。そして、やりたいことをやるっていうところに到達できるんだ。
だから、子供の頃から変わってないんだよ。やりたいことっていうのは多分、うん。それができるようになるのが大人だからさ。
だから、例えばさ。十代の頃にできなかったからって諦めなくていいと思う。二十歳になった、三十歳になった、
四十歳になった時に、ああ、あの時できなかったこと、今ならできるっていう大人になっているかもしれないじゃないか。
だから、もう一回でも、何回でもチャレンジできると思うぜ。